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3月30日付岩手日報読者の広場 「日報を読んで 紙面批評」

紙面批評
3月30日付け岩手日報の、紙面批評欄に記事を載せて頂きました。
画像だと読みづらいので、以下本文を掲載します。

3月11日。言わずもがな、東日本大震災の発災日である。3月11日周辺の岩手日報を読むと、どの紙面をめくっても「震災を忘れない」「教訓を生かす」「復興を加速する」といった言葉が並べられている。
 私が少々残念に思うのは、どの記事を読んでも震災当初に比べて議論が小さくまとまりすぎている気がすることだ。良く言えば現実的になったということだろう。事実、復興はすでに未来ではなく現在進行形で進み、「復興は次のステージに進んだ」といった言説も見かける。夢や未来(グランドデザイン)を語る段階ではなくなったということなのかもしれない。
 しかしながら私がこの日に思うことは、「3年前にわれわれは何を思い、何を願ったのか」ということだ。それこそが節目というものの存在意義であろう。その点で、私の本業の神社の祭りとも共通点がある。
 祭りとは、昨年伊勢神宮で行われた20年に一度の式年遷宮をみても分かるとおり、その原点を繰り返し演ずることに重要な意義がある。祭りの起源に頭を巡らせ、思いを地域で共有し、そして次代に受け継ぐ。3・11も同様である。
 私は、震災後に日本が変わると思った。想定外という言葉の空虚さと共に、自然の力の偉大さを実感し、身の丈にあった生活をすることの大切さを学んだ。「自然にはかなわない」。自然と共に生きていくことを選んだはずだった。岩手日報でも同様の意見が書かれていたと記憶している。私たちは地球に仮住まいさせて頂いている、そのことを忘れてはならない、と。
 神職としても、「自然を征服するのではなく自然と共に生きる」という神道の精神こそが未来の日本をつくっていくと自負心を持っていたし、その思想が東北から日本全国を変えていくと確信していた。
 ところが3年経ち、今は経済活動が優先されている。消費税増税もそうだし、原発もご存じの通りだ。グランドデザインを「言わない」のではなく「言えない」雰囲気が醸成されているのではないだろうか。復興という大きな抗いようのない流れの中で、自らの思いを心の奥底に秘めてしまう住民が増えてしまわないか危惧している。
 岩手日報の役割は、住民の本音を聞き出すこと、そしてそれを世に問うことだと思っている。その為の手段の一つとして、震災発生直後の紙面と現在の紙面の比較を提案したい。その比較から見えてくるものがきっとあるはずだ。
 私たちがこの3年で風化させてしまったことを洗い出し、整理して日本全国に発信すること、「原点」を思い出すこと。それは今の感覚で震災当時を振り返るのではなく、意識ごと当時に立ち返り、その時その時に感じた思いをくみ取る事である。それこそが震災を「忘れない」ということではないだろうか。

(宜)
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