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帰路



7月9日(木)15:22
(辰)

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歴史文化公園 南部氏の郷



7月9日(木) 13:32
※いつか徒歩で巡ってみたくなるところ。

南部氏供養塔より見下ろす風景



7月9日(木) 13:29
※岩手が恋しくなってきました…
(辰)

望郷



7月9日(木)13:28 南部氏供養塔のある、この高台から見下ろす景色が岩手県の県北地方に似ているとか。甲斐を遠く離れてたどり着いた南部氏の新天地は、故郷を思い出させるようなところだったか。戸田さんがつぶやいた。「三戸に似ている…」
(辰)

南部氏供養塔



7月9日(木)13:26 山梨県南部町は、奥州豪族・南部氏の発祥の地。甲斐源氏の祖、加賀美遠光がこの地を治め、南部氏を称したことに始まる。この一帯は歴史文化公園に指定されている。(辰)

館跡の井戸



7月9日(木)12:58 南部氏初代光行は父の加賀美遠光からこの地を与えられ、館を構え、鎌倉の源頼朝の許へ出征していたものと思われる。奥州藤原氏討伐や頼朝の京都上洛に従い活躍するが、没後は南部郷は長子実光が、波木井郷は弟の実長が相続した。その後、一族の多くは逐次奥州へ移住していったが、一部はながくこの地にとどまった。現在はこの井戸だけがわずかに昔を偲ばせている。
※館址すぐ脇の民家の屋根瓦に武田菱の家紋があったので、案内をして下さった住職様にたずねると「この辺はみんな武田菱ですから。」とのこと。(辰)

甲斐南部 延寿山 妙浄寺



7月9日(木)12:38 今より700年前、妙浄寺は真言宗大日山妙楽寺と称し、甲斐源氏の祖、新羅三郎源義光の創立にかかる、甲斐源氏の祈願寺、菩提寺であったといわれる。文永11年5月12日に日蓮大聖人は身延に向けて鎌倉をご出発、その旅の途中、当山にお着きになり、時の往寺大輪法印と法論し、これを帰依させた。この時より大輪法印は、大聖人に帰伏し、お弟子となり、寺檀ともに日蓮宗に改宗した。(辰)

甲斐南部 延寿山 妙浄寺



7月9日(木)12:03 ※小雨に濡れた境内の芝生がきれいです。お堂で住職様が説明をして下さいました。地元の南部茶(ペットボトル入り)も頂戴しました。(辰)

身延山 久遠寺(二王門にて)



7月9日(木)10:33 ※三門の中にしゃもじが…(辰)

身延山 久遠寺(宮沢賢治の歌碑)



7月9日(木)10:31
塵点の刧をし 過ぎていましこの 妙のみ法に あひまつりしを
宮沢賢治が病床で綴り、死後発見されたいわゆる「最後の手帳」の鉛筆差しに巻いてあった紙片に書いてあった歌とか。(辰)

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